こうやって子ども達を被災地に連れて来て、3年間でその数合計で171名。計11回の炊き出しを行わせて頂きました。
自分としても、震災後11年の4月8〜9日に初めて支援物資を届けに行ってから、合計で8回ほど被災地には通わせて頂きました。

子ども達を初めて連れて行ったのは、11年の7月。

その時は、この先進国(内容はともあれ)と言われている日本で起こった大災害の現場に、一人でも多くの子ども達を立たせて、そこで自分の五感で感じ考えさせるコトで、この国の未来と自分自身の命とこれからとに真摯に向き合って貰いたいと思っていました。


しかし、毎回訪れる度に震災の記憶を残す建物は消え、町は元の姿を取り戻すべく整地工事が進み、そのため中々子ども達にここで沢山の方たちが命を亡くされた場所だと説明しイメージさせるコトが難しくなっていくのも事実としてありました。

また、炊き出しに関しても、我々がお邪魔するコトで、それらを受け入れる仮設の自治会の方たちのご負担あり、毎年大晦日のご家族での団欒の時に時間を作って頂いているコトも申し訳ないコトと思っていました。
そこで『懐』の高森代表は、炊き出し形式でのボランティア活動を、13年で一度区切りをつけるコトとし、これからはまた全く別のカタチで被災地と関わっていく企画をたてられました。
その内容はまだ発表できませんが、活動最終日の夜に『懐』幹部だけにその計画案を教えて頂きましたが、自分としてはその提案は大賛成でした!
それはこれまでの炊き出しのボランティアとはまた違い、とっても健康的で前向きで、楽しく未来に繋がるアイデアで、個人的には不得意な分野なのだが、それはそれでこれからしっかりと準備をするしかないなと思いました。
ヒントとしては、またこの「みらい桜」が植わっている近くに、将来また我々は訪れるコトになるのではないかというコトです♪
東北の被災地と繋がったこの絆は、これからもずっと続いて行くのだと思います。
東日本大震災支援活動ラストリポート 終了

成瀬昌由

子ども達を初めて連れて行ったのは、11年の7月。

その時は、この先進国(内容はともあれ)と言われている日本で起こった大災害の現場に、一人でも多くの子ども達を立たせて、そこで自分の五感で感じ考えさせるコトで、この国の未来と自分自身の命とこれからとに真摯に向き合って貰いたいと思っていました。


しかし、毎回訪れる度に震災の記憶を残す建物は消え、町は元の姿を取り戻すべく整地工事が進み、そのため中々子ども達にここで沢山の方たちが命を亡くされた場所だと説明しイメージさせるコトが難しくなっていくのも事実としてありました。

また、炊き出しに関しても、我々がお邪魔するコトで、それらを受け入れる仮設の自治会の方たちのご負担あり、毎年大晦日のご家族での団欒の時に時間を作って頂いているコトも申し訳ないコトと思っていました。
そこで『懐』の高森代表は、炊き出し形式でのボランティア活動を、13年で一度区切りをつけるコトとし、これからはまた全く別のカタチで被災地と関わっていく企画をたてられました。
その内容はまだ発表できませんが、活動最終日の夜に『懐』幹部だけにその計画案を教えて頂きましたが、自分としてはその提案は大賛成でした!
それはこれまでの炊き出しのボランティアとはまた違い、とっても健康的で前向きで、楽しく未来に繋がるアイデアで、個人的には不得意な分野なのだが、それはそれでこれからしっかりと準備をするしかないなと思いました。
ヒントとしては、またこの「みらい桜」が植わっている近くに、将来また我々は訪れるコトになるのではないかというコトです♪
東北の被災地と繋がったこの絆は、これからもずっと続いて行くのだと思います。
東日本大震災支援活動ラストリポート 終了

成瀬昌由