午前中に東松島市の「ひびき工業団地仮設住宅」での炊き出しを終え、昼食はそれぞれコンビニなどで買ったおにぎりやパンをバスの中で済ませて、午後からは同じ東松島市にある「やもと仮設住宅」へ移動して、この年末のボランティアでの最後の炊き出しを行います。
この「やもと仮設住宅」にお邪魔するのは、今回で3年連続3回目で、これまで毎年大晦日の午後に伺ってカニ汁と竹輪の磯辺揚げの炊き出しと、もち米をその場で蒸しての餅つきを行って来ました。

炊き出しの準備もこれで3回目ともなると、皆殆ど指示を出さなくても勝手に動いてくれるので、毎年自分はここの炊き出しになると、全体の監督をやりつつも、自分の持ち場である「餅つき親方」に集中できます。

もち米は、『懐』の地元浜坂東小学校の児童が学校で収穫し、ご提供してくれたモノを使います。

今回は餅つき助っ人の『成瀬軍団』の集まりが内田の七夕野郎はじめ全員悪く、『一人成瀬軍団』となって、300人前以上のもち米をつき上げなければいけなかったが、大学生の参加者や毎年手伝いに来て頂いている元野蒜(のびる)の避難所にいらっしゃった方たちに手伝って貰って、何とかほぼ全てのもち米をつき上げる事が出来ました。

途中毎年恒例の、仮設にいる子ども達にも声を掛けて、ちびっ子たちにも餅つきに飛び入りして貰います。

生まれて初めて餅を付く子や、去年もやったと教えてくれる子もいて、日本の年末年始に餅つきはやはり盛り上がるなと思いました。

つき上げた餅は、「元白玉団子班」が適当な大きさに整えてくれます。

写真はトチの実を一緒に蒸してついた「トチ餅」です。このトチ餅は最近あまり見ないかも知れませんが、年配の方たちには懐かしかったみたいでかなり好評でした。
参加したメンバーも、最後の炊き出しというコトで、寒い中悔いの残らない様皆一生懸命に、仮設の方たちに気持ちを伝えようと声を掛けて、それぞれが必死になって働いてくれました。
今回行った3か所の仮設住宅は、去年一昨年とお邪魔しているので分かるのだが、毎回少しずつだけど仮設住宅のプレハブの数が減っていると思いました。
「宣伝隊」で、一戸一戸訪問しても空き家になっているケースも多く、お話を聞いてみると住んでいた方たちが災害復興住宅などに移り住んでいるからだと教えて貰い、仮設で出来た御近所のコミュニティーから離れるのはまた負担かもしれないが、それでも仮設住宅から出られたのは本当に喜ばしいコトなんだと、自分も嬉しく思いました。
そして時間はあっと言う間に過ぎ、全ての食材を使い切って、今回の炊き出しは終了となりました。

うす暗くなる中急いで撤収作業を行い、最後は集会所に入れて貰ってお別れのご挨拶をさせて頂きました。

子どもの代表者挨拶。自治会代表者の挨拶が終わり、最後に皆で記念撮影をしたあとでした。
震災直後に高森代表達が道が所々寸断され、散々道に迷った末にたどり着いた野蒜の避難所で出来た御縁が元で、避難所から仮設に移られた後もずっと連絡を取り合い、本来なら「自立にならないから」と炊き出しをお断りされる仮設住宅もあるなか、我々を受け入れる為に仮設住宅側のコーディネートをし続けてくれていた元野蒜の代表者の方が、高森代表と固い握手をされた後に、グッと強く抱擁をされ、絞り出す声で高森代表にこう呟かれたそうです。
「津波に遭って良かったぁ〜」「あんたらに会えたから・・・」
津波に遭って良かったなんて、そんなコトはないはずです。ただ、じっさいにこの方は津波に遭って家も町も全てを失った方なのに、想像を絶する地獄の様な光景を見て来たはずなのに、たまたまたどり着いただけの、それまで何の御縁もなかった我々に対して、そこまでのお言葉を掛けて頂けるなんて・・・。
高森代表からこのお話を聞いた時、自分は涙を堪えるのに必死でした。
この言葉を聞き、自分はこれまで、これはただの自己満足だけなんじゃないかと自問しながら続けていた支援活動でしたが、本当に初めて続けていて心から良かったと思えた瞬間でもありました。
※何だか終わりません。すみませんがもう一回だけ続きます。
成瀬昌由

炊き出しの準備もこれで3回目ともなると、皆殆ど指示を出さなくても勝手に動いてくれるので、毎年自分はここの炊き出しになると、全体の監督をやりつつも、自分の持ち場である「餅つき親方」に集中できます。

もち米は、『懐』の地元浜坂東小学校の児童が学校で収穫し、ご提供してくれたモノを使います。

今回は餅つき助っ人の『成瀬軍団』の集まりが内田の七夕野郎はじめ全員悪く、『一人成瀬軍団』となって、300人前以上のもち米をつき上げなければいけなかったが、大学生の参加者や毎年手伝いに来て頂いている元野蒜(のびる)の避難所にいらっしゃった方たちに手伝って貰って、何とかほぼ全てのもち米をつき上げる事が出来ました。

途中毎年恒例の、仮設にいる子ども達にも声を掛けて、ちびっ子たちにも餅つきに飛び入りして貰います。

生まれて初めて餅を付く子や、去年もやったと教えてくれる子もいて、日本の年末年始に餅つきはやはり盛り上がるなと思いました。

つき上げた餅は、「元白玉団子班」が適当な大きさに整えてくれます。

写真はトチの実を一緒に蒸してついた「トチ餅」です。このトチ餅は最近あまり見ないかも知れませんが、年配の方たちには懐かしかったみたいでかなり好評でした。
参加したメンバーも、最後の炊き出しというコトで、寒い中悔いの残らない様皆一生懸命に、仮設の方たちに気持ちを伝えようと声を掛けて、それぞれが必死になって働いてくれました。
今回行った3か所の仮設住宅は、去年一昨年とお邪魔しているので分かるのだが、毎回少しずつだけど仮設住宅のプレハブの数が減っていると思いました。
「宣伝隊」で、一戸一戸訪問しても空き家になっているケースも多く、お話を聞いてみると住んでいた方たちが災害復興住宅などに移り住んでいるからだと教えて貰い、仮設で出来た御近所のコミュニティーから離れるのはまた負担かもしれないが、それでも仮設住宅から出られたのは本当に喜ばしいコトなんだと、自分も嬉しく思いました。
そして時間はあっと言う間に過ぎ、全ての食材を使い切って、今回の炊き出しは終了となりました。

うす暗くなる中急いで撤収作業を行い、最後は集会所に入れて貰ってお別れのご挨拶をさせて頂きました。

子どもの代表者挨拶。自治会代表者の挨拶が終わり、最後に皆で記念撮影をしたあとでした。
震災直後に高森代表達が道が所々寸断され、散々道に迷った末にたどり着いた野蒜の避難所で出来た御縁が元で、避難所から仮設に移られた後もずっと連絡を取り合い、本来なら「自立にならないから」と炊き出しをお断りされる仮設住宅もあるなか、我々を受け入れる為に仮設住宅側のコーディネートをし続けてくれていた元野蒜の代表者の方が、高森代表と固い握手をされた後に、グッと強く抱擁をされ、絞り出す声で高森代表にこう呟かれたそうです。
「津波に遭って良かったぁ〜」「あんたらに会えたから・・・」
津波に遭って良かったなんて、そんなコトはないはずです。ただ、じっさいにこの方は津波に遭って家も町も全てを失った方なのに、想像を絶する地獄の様な光景を見て来たはずなのに、たまたまたどり着いただけの、それまで何の御縁もなかった我々に対して、そこまでのお言葉を掛けて頂けるなんて・・・。
高森代表からこのお話を聞いた時、自分は涙を堪えるのに必死でした。
この言葉を聞き、自分はこれまで、これはただの自己満足だけなんじゃないかと自問しながら続けていた支援活動でしたが、本当に初めて続けていて心から良かったと思えた瞬間でもありました。
※何だか終わりません。すみませんがもう一回だけ続きます。
成瀬昌由