先月の29日。

女川を後にした我々が次に目指したのは、東松島市野蒜(のびる)。

ここ野蒜は、震災直後まだ高速道路も封鎖され一般道も満足に開通していない3/20に、第一回の支援活動として道に迷いながらもたまたまたどり着いた避難所で生活されていた方たちが元々暮らしていた町で、震災前は夏になると綺麗な砂浜に沢山の海水浴客が訪れるのどかな町だったと聞いています。
しかしこの震災で、海沿いの町は壊滅状態となり、海に近かった野蒜駅は未だに復旧はされていません。
(※野蒜駅については、内陸部に新設されることがJRより発表されています)
宮城県 野蒜(2011年3月20日) (19)
(※写真は2011年3月20日)
この野蒜地区の皆さんが身を寄せていた避難所は、普段は畳で言えば20〜30程の狭い集会所で、その中に最大で約200人の人が電気の通らない中、身を寄せて避難生活を送っていたそうです。野蒜 中下避難所(2011年3月20日)

その後この避難所へは2度支援物資を運び、衣類や食糧以外にもリクエストのあった洗濯機を3台お渡しして来ました。
野蒜 中下地区センター避難所(2011年4月9日)
(※写真は2011年4月8日)
そして、我々とこの野蒜の皆さんが身を寄せられた避難所で出来た御縁は、有難いコトにその後も続き、皆さんが避難所から仮設住宅へと移られた後も、2011年の夏にはわざわざこの元避難所に集まって下さって、我々ボランティアで来た子どもたちの為に、、実際に津波に飲みこまれてどうやって命が助かったといったお話や、思い出すのも辛い震災当時のお話を聞かせて頂きました。
中下公民館・講話
(※写真は2011年7月)
我々は無理をしてお話して頂かなくてもとお伝えしましたが、野蒜の皆さんは「子どもたちの未来の為になるなら…」と、涙を流しながらお話して頂いたのを、とても強い記憶として覚えています。

この野蒜の皆さんとの交流はその後も続き、11年12年13年と年末にカニ汁の炊き出しをする際は、その野蒜の人たちが避難所から仮設へと移った後を追っかけるカタチで、それぞれ東松島市の響と矢本の仮設住宅で、炊き出しをやらせて頂く事となりました。

あの狭い避難所から、プレハブとはいえ仮設住宅へと移り、その後を見届ける事が出来たのは本当にこういった活動を継続して良かったと思える瞬間でもありました。

また、この野蒜の皆さんとの交流は炊き出しにとどまらず、津波で大きな被害を受けた元野蒜小学校近くの公園に、我々子どもNGO『懐』の基金でさくらの苗木を植樹させて貰うコトが出来、今回その植樹された桜を初めて見にいけるコトが出来ました。

日も沈みかけた野蒜の町は、家々がないせいかより暗く感じられましたが、我々が贈らせて貰った5本の桜の苗木は、身を切る寒さの中でもしっかりと根をはっていました。
野蒜地区13/12/29

この桜は御縁の出来た野蒜の復興を祈念して「みらい桜」と名前を付けさせて貰いました。
野蒜「みらい桜」

この桜が花を咲かせるのには、まだだいぶ時間が掛るとは思いますが、その頃にはこの公園の周りにも新しい家々が建ち、暖かい春の日に子ども連れの家族がお花見でもしてくれたら、このうえない喜びを感じられると思います。
野蒜地区の皆さんと

ちなみに、その桜はJR仙石線「野蒜駅」から西に約800m程行った「奥松島パークライン」沿いに植えてあります。

場所はコチラのリンクでも確認出来ます。

看板も立ててありますので、東松島に寄る機会があったら、是非立ち寄ってみて下さいませ。
2011年4月9日野蒜
(※写真は2011年4月9日の野蒜で、みらい桜が植えられた近辺です)

続きます

成瀬昌由