自分はそれ以前の2011年4/9〜10と支援物資を運んだあの時と比べれば、町のガレキは数段片付き、道路の陥没箇所なども少なくなっていたので、ちょっとずつでも復興に向けて前に進んでいるんだと勝手に考えてしまっていました。
しかし実際に津波に飲まれ、お身内をこの場所で亡くされた方たちにとっては、時間は自分たちと同じ感覚ですすむ訳も無く、「練馬」なんて書かれてる車でやって来た”よそ者”たちに、近しい人が無くなった場所にゾロゾロと来て貰いたくはないという考えがあっても然るべきだという思いもあります。

自分がその立場だったら、もしかしたら同じ気持ちになっていたかも知れません。

その”あるコトバ”は、活動を終えて後日高森代表から教えて貰ったコトだったが、それを聞いて我々は野次馬に間違われる様な行動は一切していなかったし、参加したメンバー全員が被害に遭った方々を悼む気持ちを持ち、祭壇では献花をし手を合わせていたのだが、それはやはり実際の被害に遭ってはいないモノ側の勝手な解釈ではあったのかと、本当に色々と考えさせられるコトだったと思います。

この野次馬に間違えられたコトは、本当に残念に思う反面、あの日以来人生が大きく変わってしまった被災者の生の感情を垣間見るコトが出来たのも、やはり実際に自分の脚でここまで来たからこその貴重な経験だと思いました。

風雨にもさらされず、安全な場所にいるだけじゃあ、本当に大事なコトは経験出来ないのだというコトかな。
南三陸町・防災センター

2011年7月25日の南三陸町防災対策庁舎

成瀬昌由