我々は志津川湾を右手に見ながら、「陸前戸倉」「志津川」と北上して行き「南三陸町」へと到着しました。
南三陸町も、町のほぼ全域が津波によって流され、甚大な被害を受けた町として多くTVニュースに取り上げられた場所です。
我々はこの南三陸町の被害を知る上で象徴的となった「防災対策庁舎」に寄らせてもらい、祭壇で手を合わせ被害にあった方々のご冥福を祈りました。
実はここで、後日高森代表から教えてもらったお話で、個人的に「深く考えさせられる出来事」が起こっていました。
南三陸町も、町のほぼ全域が津波によって流され、甚大な被害を受けた町として多くTVニュースに取り上げられた場所です。
我々はこの南三陸町の被害を知る上で象徴的となった「防災対策庁舎」に寄らせてもらい、祭壇で手を合わせ被害にあった方々のご冥福を祈りました。
実はここで、後日高森代表から教えてもらったお話で、個人的に「深く考えさせられる出来事」が起こっていました。
我々が訪れたのは、夕暮れにはまだ日も高い16:30ごろ。
我々の到着前から、2〜3組の方たちがこの「防災対策庁舎」の周りにらっしゃいました。
我々はそれぞれ庁舎の前に設けられた祭壇に手を合わせ、運転担当の自分は、この後のルートに関しての打ち合わせなどをしています。
そんな時です。
その場を立ち去る2人連れから、ある言葉を投げかけられたのを高森代表が耳にされたのです。
「・・・、・・・、・・・・・・・・!」
訛りのある言葉だったので聞き取りづらかったそうですが、何て言われたかはすぐ分かり思わず振り返ると、母と年若い息子といった親子連れだったそうです。
声は女性のモノだったので、母親の方だと思いますが、その投げかけられた言葉は、自分達に対する怒りのコトバだっただったそうです。
自分はこの出来事を後日知る事となり、自分自身色々と考えさせられました。
確かに我々の車列は乗用車5台と多く、地元の方たちから見れば東京ナンバーの車があたかも観光地に来る様に何台も来るさまは、地元の人達からみれば気持ちの良いモノでは無いかもしれません。
みなそれぞれ、カメラなどで周りの様子を記録するため、写真も撮影しています。
ただそれは、他人に見せびらかすような為ではなく、それぞれ記憶し、見てきたコトを伝える為に記録しているのです。
もしかしたら先ほどの言葉を放った母親は、この庁舎で身近な方がお亡くなりになられた方かも知れません。
そういった方たちから見れば、我々はいくらボランティア活動で訪れた集団だとしても、祭壇に手を合わせる姿を見たとしても、許されざる人間に見えてしまうのかも知れません。
実際にこの庁舎は、被災地にボランティアに来た多くの団体が訪れ、献花をしにきています。
そして、中には「心無い野次馬」の様なヤカラもいるそうです。
我々は巨大なボランティア団体でも、企業や自治体単位で集まった団体でもないので、お揃いの帽子やTシャツなども着ていません。
ましては10人近い子どもを連れての集団なので、周りからは異様に見えるかも知れないし、我々の活動内容や、特に子ども達がどれだけの覚悟と高いハードルを乗り越え、この被災地に馳せた気持ちなど知りようがないので、「心無い野次馬」と勘違いをされても、致し方ないのかも知れません。
自分達は出発前、兵庫・杉並それぞれの地で説明会をし、この様な出来事も充分ありうるという話をしていました。参加者全員は、それも覚悟の上での参加でした。
しかし今でもこの出来事を思い出すと、少しやり切れない気持ちになります。
と同時に、以前高森代表からお話を聞いた、もっとやり切れない思いをされたこれまでの海外での支援活動の出来事を思い出し、やはり現地に立たないと経験できないことは沢山あるし、こういった出来事も貴重な体験になったと、前向きに思うのが懸命なのではないかと思います・・・。
が、やはりやり切れなさも、残ることは残ります。
続きます。
成瀬昌由
我々の到着前から、2〜3組の方たちがこの「防災対策庁舎」の周りにらっしゃいました。
我々はそれぞれ庁舎の前に設けられた祭壇に手を合わせ、運転担当の自分は、この後のルートに関しての打ち合わせなどをしています。
そんな時です。
その場を立ち去る2人連れから、ある言葉を投げかけられたのを高森代表が耳にされたのです。
「・・・、・・・、・・・・・・・・!」
訛りのある言葉だったので聞き取りづらかったそうですが、何て言われたかはすぐ分かり思わず振り返ると、母と年若い息子といった親子連れだったそうです。
声は女性のモノだったので、母親の方だと思いますが、その投げかけられた言葉は、自分達に対する怒りのコトバだっただったそうです。
自分はこの出来事を後日知る事となり、自分自身色々と考えさせられました。
確かに我々の車列は乗用車5台と多く、地元の方たちから見れば東京ナンバーの車があたかも観光地に来る様に何台も来るさまは、地元の人達からみれば気持ちの良いモノでは無いかもしれません。
みなそれぞれ、カメラなどで周りの様子を記録するため、写真も撮影しています。
ただそれは、他人に見せびらかすような為ではなく、それぞれ記憶し、見てきたコトを伝える為に記録しているのです。
もしかしたら先ほどの言葉を放った母親は、この庁舎で身近な方がお亡くなりになられた方かも知れません。
そういった方たちから見れば、我々はいくらボランティア活動で訪れた集団だとしても、祭壇に手を合わせる姿を見たとしても、許されざる人間に見えてしまうのかも知れません。
実際にこの庁舎は、被災地にボランティアに来た多くの団体が訪れ、献花をしにきています。
そして、中には「心無い野次馬」の様なヤカラもいるそうです。
我々は巨大なボランティア団体でも、企業や自治体単位で集まった団体でもないので、お揃いの帽子やTシャツなども着ていません。
ましては10人近い子どもを連れての集団なので、周りからは異様に見えるかも知れないし、我々の活動内容や、特に子ども達がどれだけの覚悟と高いハードルを乗り越え、この被災地に馳せた気持ちなど知りようがないので、「心無い野次馬」と勘違いをされても、致し方ないのかも知れません。
自分達は出発前、兵庫・杉並それぞれの地で説明会をし、この様な出来事も充分ありうるという話をしていました。参加者全員は、それも覚悟の上での参加でした。
しかし今でもこの出来事を思い出すと、少しやり切れない気持ちになります。
と同時に、以前高森代表からお話を聞いた、もっとやり切れない思いをされたこれまでの海外での支援活動の出来事を思い出し、やはり現地に立たないと経験できないことは沢山あるし、こういった出来事も貴重な体験になったと、前向きに思うのが懸命なのではないかと思います・・・。
が、やはりやり切れなさも、残ることは残ります。
続きます。
成瀬昌由